数年前、高齢の両親(90代の父、80代の母)の介護のために実家へ通っていましたが、両親だけでは生活が回らなくなり、特に父の問題行動が増えたため、サ高住へ見学に出掛け、入居まで決めたときの記録です。(現在は、介護はしていません。)
父は頑固で、すぐに怒鳴るタイプだったので、施設やサ高住入居などについて、落ち着いて話すことが難しかったです。
父に話を切り出すのはとても大変でしたが、結果的にサ高住の見学から入居まで、兄弟と一緒に話を進めることができました。
そのときの流れを、個人の記録として書いています。
※サ高住とは、サービス付き高齢者向け住宅のことで、「安否確認」と「生活相談」のサービスがついた「賃貸住宅」で、施設より自由度の高い暮らしが可能です。
親だけの生活が限界だと感じた瞬間
当時、実家で高齢の両親だけの暮らしは難しいと感じるようになりました。
特に気になったのは、次のようなことです。
父の火の扱いに関する危険な行動
- コンロの火を消し忘れたり鍋を焦がすことが増えた
- 消火しているストーブの上に本を置く
- 布団の中にドライヤーを持ち込む
父の体調
- 体重と薬の管理ができなくなった
- リハビリを拒否
母の体調
- 自立歩行が難しくなった
- 転倒を繰り返す(自力で起きることが難しくなり、父も母を起こすことができない)
生活が回らなくなってきた
- 母は重いゴミが出せない
- 父はゴミ出しの曜日が分からなくなる
- ふたりとも入退院を繰り返す
両親のこんな様子を目の当たりにして、私はヘルパーさんに来てもらうことを提案しました。
すると、互いに相手には必要、でも自分には必要ないというので、サービスにつながりませんでした。(サービス利用時、本人が在宅している必要があるため)
私は次第に実家へ行く日数が増え、滞在時間が長くなり、母の入院中は父の見守りのため実家に泊まり込むようになりました。
数か月の出来事でした。
私はこれまで両親に、「手伝いはできるけど、私も家族がいるので、同居したり長時間の介護をすることはできない。」と何度か伝えたことがありました。
しかし、実際には徐々に介護の時間と労力が増えていき、先のことは曖昧なまま介護をする日々になっていました。
両親を介護する私は更年期のど真ん中にいて、いつも不調でした。
私の自宅は荒れてきて、当時、問題を抱えていた夫や子どもにも不調が出はじめました。
このままでは共倒れになってしまうと思い、両親に施設の話をすることにしました。

頑固な父に施設の話を切り出す
母と施設について話しましたが、母は入居に関して強い抵抗感はなさそうでした。
問題は父です。
父は時々、私の前で「おれも、ひょっとしたら来年あたり施設に入っているかもしれない。」と口にするようになりました。
しかし、ゴミ出しの曜日を頻繁に間違えるようになった父に、市のゴミ出し困難者支援の利用をすすめてみたところ、烈火のごとく怒り出しました。
市の高齢者支援センターから、地元の施設が多数掲載されている冊子をいただいたこともありましたが、ページ数が多く、当時の父は比較検討して判断することができなくなっていました。
そんな父に、施設の話をどう切り出せばよいのか悩みました。
しばらく考えた後、私はこんな方法をとることにしました。
それは、父の方から施設の話がでるのを待つことでした。
ときどき、父の口から「同じ町内の〇〇さんが施設に入った。」というような話を聞くことがあったので、それを待つことにしました。
ある時、父の口から「〇〇さんが施設に入った。」という話が出ました。
私は絶好の機会と思い、父にこう返答しました。

〇〇さんはどこの施設に入ったの?
しかし、父は私の質問に答えることができませんでした。
父はご近所や知人が施設に入ったことは知っていましたが、どこの施設かまではほとんど知りませんでした。

施設に入った方たちは、皆、どこの施設に入ったの?お父さんも、今後入院したら、自宅に戻れなくなるときもあるかもしれないよ。一度も見たこともない知らない施設にいきなり入るの嫌じゃない?お父さんが元気で、自分で判断できるうちに見学して決めた方がよくない?一度、施設見学に行ってみようよ。
と話すと、父は納得してくれたのか「そうだな。」と言いました。
どこの施設がいいか兄弟に調べてもらうよ、と明るく父に伝えました。
その晩、私は遠方で暮らす兄弟と施設について話し合い、兄弟が施設探しや資料請求をしてくれることになりました。
サ高住を家族全員で見学
それからしばらくして、兄弟が帰省しました。
兄弟は施設ではなく、自宅から近い場所にあったサ高住のパンフレットを持ってきてくれました。
住み慣れた地域に入居する方が、両親の抵抗感が少ないのでは?と考え、資料請求してくれたものでした。
そして、兄弟が帰省中にサ高住見学へ、実家の家族全員で行くことになりました。
見学したサ高住は、前述の通り、両親が昔から住み慣れた地域にあり、自由度の高い暮らしができるので、ふたりは入居後の暮らしをイメージしやすかったようです。
父が気に入ったようなので、兄弟がその場で見積もりを出してもらうようお願いしてくれ、その見積もりをもとに父と話してくれました。
そして、兄弟が入居の手続き(キッチンとお風呂のない部屋)を具体的にすすめてくれることになりました。
入居を決めた後に父が不安定になる
入居を決めたものの、兄弟が帰った後、父は一時的に不安定になりました。
サ高住見学のあと、しばらくして両親は介護保険の認定調査を受けました。
認定調査は両親同時に行われ、いつもお世話になっている市の高齢者支援センターの支援専門員の方も、状況確認のため同席してくださいました。
調査員が帰ったあと、父は急に玄関に座り込むと、頭を抱えて「おれは施設には入りたくない。(サ高住のことです。父は施設とサ高住の区別がついていません。)」と言いだしました。
母は、「とりあえずお父さん、(サ高住に)一緒に行ってみようよ。」と父に声をかけ、支援専門員の方が父の話を聞いてくれました。
その後、父の「サ高住には入りたくない」という気持ちは、はっきりしないまま宙に浮いたような状態になりましたが、そんな中、父は深夜に入院することになりました。
入院中、父の方から「毎月のように何かしら(問題が)起こっているな。」と言ってきたので、「そうだよ。安心のためにサ高住に入ろう」と返しました。
後日、「サ高住の話、具体的にすすめているよ。」と父に声をかけると、特に嫌がることはなく、弱々しい声で「うん。」と返事するようになりました。
その後、両親は無事にサ高住に入居することができました。
両親は入居後、あれほど嫌がっていたヘルパーさんのサービスを受けるようになりました。
父はこれまで拒否していた病院のリハビリに通うようになり、そこで体重や薬の管理もしてもらえるようになりました。
※この記事は当時の記録です。入居して約一年半後に父は亡くなりました。現在はまた違う状況になっています。


