数年前、80代の母の通い介護をしていたころの話です。(今は介護はしていません)
母は知り合いから端切れを使った手作りの品をいただいたことがあったのですが、そのお礼のために4,000円以上使おうとしたときのことを振り返ってみました。
母がいただいた手作りの品
母が知り合いの方から、手作りの品をいただきました。
「端切れがあるから作ってあげる!」と言ってくださり、その方はあっという間に作品を仕上げて、母に持ってきてくださいました。
母が高齢になっても、こういう交流があることは有難いなと思いましたし、母も嬉しそうでした。
母がお礼をしたいと言うと、作ってくださった方は「お礼なんかいらないわよ。」と言って帰っていかれたそうです。
母が考えたお礼の品
母は、その方にお礼の品を渡したいと言いだしました。
もちろん、私も賛成しました。
- 端切れで作られた品であること
- 相手の方はお礼を辞退されていること
これらのことを考えて、気持ちをお返しする形で「1,000円ほどの焼き菓子を買ってこようか?」と母に提案しました。

すると、母は「それではダメ!」と言いだし、2,000円ほどのお礼の品を細かく指定してきました。
お相手の方が遠慮なさっているのに、高めのお礼をしてしまうと返って気を使わせてしまうのでは?と母に伝えましたが、母は指定する品でないとダメだと譲りませんでした。
お礼の品をタクシーで買いにいこうとする母
母の「ちゃんとお礼がしたい」という気持ちを汲んで、私は、「指定の品を買ってくるけど、少し時間をちょうだい。すぐには準備できないよ。」と言いました。
すると母は、手作りの品をいただいてから時間が経ってしまったので、早くお礼の品を渡したいと言います。
頻繁に母に会っていたのに、なぜ今ごろ言うのだろう?もっと早く言ってくれれば、余裕を持ってお礼の品を準備できたのに?と言うと、母は、どんなお礼にしようか迷っていたと言い訳をします。
私は、2~3日待ってといいましたが、母は我慢できず、タクシーに乗って自分で買いに行くと言いだしました。
当時の母は足腰が悪く、体調によっては自立歩行も難しい状態でした。
私がタクシーの乗り降りを手伝わないと、シートベルトの締め外しもできません。
なのに、翌日タクシーで買いに行くと言うのです。
母の指定する2,000円の品をタクシーで買いに行くと、タクシー代だけで2,000円以上かかります。
お礼の品より、交通費の方が高くつくのです。
つまり、母は手作りの品のお礼をするために交通費まで含めると、4,000円以上使おうとしていたのです。

私には、母のお礼の仕方が、少し極端に感じてしまいました。
そう思い、母に再度、近所のお店の焼き菓子だったら、今すぐにでも買いに行けるよと伝えましたが、母は自分の指定する品でないとダメだと言い続けました。
私が折れて指定の品を買いに行く
結局、この件は私が折れて指定の品を買いに行き、母に渡しました。
私はこのために、半日、自分の時間を使いました。
母がお返しを「1,000円の焼き菓子じゃなくて2,000円の焼き菓子がいい。」と言ったら、私は少し高いかも?と思いつつ、2,000円の焼き菓子を買いに近所のお店に走ったと思います。
また、母が数日待ってくれるのであれば、指定の品を気持ちよく買いに行けたかもしれません。
しかし、足腰の悪い母が、2,000円以上の交通費を使ってお礼をしようとすることが、少し現実とのバランスが合っていないように感じてしまい、理解が追いつきませんでした。
悪気はないのにすれ違う
今、振り返ると母は、おそらくですが、
- きちんとお礼をしないといけない(礼儀)
- 早くお礼をしないと自分が失礼な人だと思われてしまう(体裁)
- そのためには指定の品でないといけない(気持ち)
これ以外が見えにくくなっていたのかもしれません。
当時の母には、私の労力や時間の負担はまったく見えていませんでした。(説明しても、なかなか伝わりませんでした。)
また、悪気も一切ありませんでした。
しかし、私の方は、
母がひとりで品物を買いに行く場合は、
- 母の体調
- 母の安全
これらが気になりました。
私が品物を買いに行く場合は、
- 時間
- お金
- 効率
これらが気になりました。

私と母では、見えているものがまったく違っていたのだと思います。
お礼の品代や交通費は、両親の貯金から出ていました。
本来、両親のお金は両親が自由に使えるものですが、介護に関わる出費が少しずつ増えていく中で、貯金も減っている状況でした。
そして、介護に伴って我が家の生活全体の出費も重なり、金銭的な負担が少しずつ大きくなっていました。
そんな中で、母なりの「ちゃんとしたい」という気持ちは理解できても、母のお金の使い方まで含めて受け止める余裕はありませんでした。
当時は、私の労力と時間がつぶされていくという振り回される感覚があり、今でも、どこで折り合いをつければ気持ちがスッキリしていたのかわかりません。
金額そのものというより、「ちゃんとしたい」が積み重なっていく流れに、当時の私は現実的な負担を感じていました。
母の言う通りにすると私が疲れ、断れば母がお金を使い過ぎる。
どちらを選んでも、心がすり減るような感覚がありました。
介護は、母とのすれ違いが多い日々でした。

