高齢の両親を通いながら介護していた時期がありました。(現在は、介護はしていません。)
90代の父が病院へ行くときに付き添いをしていましたが、私はいつも緊張していました。
父は自分が老いを感じる場面があると途端にピリ着き、酷い時は怒鳴ってしまうことがあったからです。
なので、私は毎回、
- 父の自尊心を傷つけないようにしなくては
- 父が怒鳴って周囲に迷惑をかけないようにしなくては
といつも気を張るようになりました。
この記事でいう「通い介護」とは、高齢の親が施設へ通って介護サービスを受ける「通所介護(デイサービス)」ではなく、別居している子どもが実家やサ高住へ通いながら親の介護を行うことを指します。
老いを受け入れられない90代の父
まだ、本格的に介護がはじまる前、実家へ行った時に、父と私と女性のある営業の方とで話をする機会がありました。
手続きの話になったときに、営業の方が父ではなく私に向かって話しかけ話をすすめようとしたところ、父は大激怒したことがあります。
※営業さんがしたことは、実務的におかしいことではありませんでした。
私が営業さんに後で平謝りし、そのあと、私だけでは解決できず、後日、兄弟が間に入って場をおさめてくれました。
父は、男尊女卑で家父長制を強く意識して生きていたので、営業さんが私に向かって話したことが、父にとっては、恐らく(私の想像なのですが)、
自分を差し置いて娘に話すとは何事だ!
という感じになり、娘より下の立場になったような気分になってしまい、辛くなり怒鳴ってしまったのではないかと思います。
こういうことが介護中、頻繁に出てきたため、私はいつも緊張感でいっぱいでした。
看護師さんが私に説明を始めるとピリ着く父
通い介護をするようになり、父の病院に付き添いするようになったのですが、病院ではこの緊張感を感じる場面が多かったように思います。
例えば、大きな病院で看護師さんが父ではなく私に検査や入院の説明しようとすると、父がピリ着くのがわかりました。
なぜ、ピリ着くのか、当時の私はよくわかっていませんでしたが、なんとなく父を怒らせないようにと考え、看護師さんが近づいてくると父の後ろに回り、父の背後から看護師さんと目を合わせ、
「娘の私もちゃんと聞いていますよ!」
とアピールしながら無言で大きくうなずき、説明を聞くようにしていました。
父は看護師さんに「わかった、わかった!そうだもんな!」と大きな声でハキハキと相槌を打ちますが、実際には理解していないことも多かったです。
当時の父は、大きな病院のトイレへ入ったあとは、右へ行けばよいのか、左へ行けばよいのかも分からなくなっていました。
また、病院の予約の日付や曜日も、間違えることが多くなっていました。
しかし、病院で娘の私が父より前に出てしまうと、看護師さんの手前、自分が娘より下の立ち位置に立ってしまったように感じてしまい、そのことが耐えられないようでした。
病院で父が怒鳴った場面
父が病院でピリ着き、怒鳴ってしまったこともありました。
ある時、父が入院することになり、病室で男性の看護師さんから入院前の様子について私に尋ねられたことがありました。
なので、私はとっさに父を傷付けないようにと考え、耳の遠くなった父に話が聞こえにくいように、低い声で静かに看護師さんと話してしまいました。
すると、父が自分抜きで勝手に話されていると不安に感じたのか怒鳴りつけてきました。
なんと言って父が怒鳴ったかは正直覚えていません。
その時は、看護師さんに申し訳ないという気持ちでいっぱいなのと、父が病院から追い出されるのではないかという不安、そして恥ずかしさ、疲弊、色んな気持ちがごちゃまぜになり、看護師さんに頭を下げながら帰りました。
また、別の入院の際は、病院から紙おむつや前開きの肌着などを準備してほしいと、リストの用紙をもらいました。
父は小柄でやせ細っていた為、私は、Mサイズの紙おむつでは漏れてしまうと思い、Sサイズを買いに行きました。
しかし、近所のお店ではSサイズは売っていなくて、3件目でようやくSサイズの紙おむつを手にいれました。
Sサイズの紙おむつを2つ抱えて、すぐに父の病室に行ったところ、「そんなもの、持ってこなくていい!」と怒鳴ってきました。
結局、退院の頃には、その紙おむつはすべて使い切っており一枚も残っていませんでした。
父は退院後、トイレが上手くいかず下着を汚してしまうことが増えました。
なので、兄弟とも相談し、子供用の安価なパンツを買い、汚れたら使い捨てすることにしました。

90代になっても杖を持つことに抵抗があった父
父は90代になっても杖を持つことに抵抗を感じていました。
ある時、母の入院の荷物を父と一緒に病院に届けに行った際に、父が杖を突いて歩く方を見て、「あれ、いいな」と言ったことがありました。
なので、私は父に杖をプレゼントしました。
しかし、父は、その杖を約2年間、一度も使いませんでした。
その後、父は入退院を繰り返すようになり、私が父がなおし込んでいた杖を父に差し出して「この杖、使ってよ。」と言うと、父はようやく杖を使うようになりました。
最後に
父が亡くなり、今、振り返ると、父の自尊心が傷ついて辛かったことがよく理解できます。
父にとって病院は、自分の衰えを突きつけられ、また弱った姿を娘に見られることが、自分の負けた姿を晒しているような気持になり耐えられなかったのではないかと思います。
しかし、当時の私は、父の病院に付き添う際に、
- 父がいつ怒鳴りだすか分からない
- 父が迷惑をかけないか心配
- 父が迷惑をかけたら謝罪をする
- 父のプライドが傷つかないよう絶えず気を張る
- 父が怒鳴ると恥ずかしい
これらの気持ちを抱え、いつも緊張し疲弊していました。
両親だけでは生活が回らなくなり、特に父の問題行動が増えたため、サ高住へ見学に出掛け、入居まで決めたときの記録です。
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